からくりもの からくりを提供し、からくりのようなつながりをつくる

ルールをつくるものと、ルールを探すもの

ホッテントリーに上がっていた以下の記事を読んで色々考えた。
かなり散文的なエントリーです。

「夏休みの長話。〜すごい物を見てもへこたれないために〜」

http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20100719/1279480691

上記エントリーに出てきたことを自分なりに消化した言葉で書きます。
「学習」という言葉には二種類あって
・既にあるルールや知識を記憶する
・何も無い荒地に分け行って道をつくる
ことの2種類があるわけです。

それはどっちが正しいというものではなく、「自分がどっちに合っているか」なんだと思うんです。
で、自分はことごとく後者だと思いました。というのが本題。

そもそもこの4月に会社をやめて独立を志した事自体が「既存のルールで生活することより、ルールを創ることに興味を覚えたから」です。今は技術で飯を得ようとしているけど、ゆくゆくは組織を創りみんなで飯を食う仕組みを作りたい。

高校生の時は「いじめ」という仕組みをなくすために、今まで通り大人に任せるのではなく新しいアプローチを作れないかと挑戦しました。大人を運営に入れず、高校生以下だけでなんとかしようとしていました。

中学の時は、放送委員長として「お昼の放送」を新しくしたいと挑戦しました。あと、吹奏楽部部長として部を強くするための工夫をしました。「体力づくりのために走ろう」と急に部員を借りだして走ったのはバカだと思います。みんな運動着なかったから制服のまま学校の周りを走った。

小学校のときは、理由もなく「こうしなさい」というものが納得できずとことん我が道を歩いていました。誰か教えてくれればよかったのに。「学習発表会」で、授業で学んだ内容を発表せずに「発電機キット」を買って発電の仕組みを説明したこともあった。

こういう考え方はどこから来たんだろう。灰谷健次郎、宗田理の作品から影響を受けている気がする。それから、幼稚園が英語の幼稚園だったことも。幼稚園の「ダンスパーティ」(という名前のお遊戯会)で「他の子と違う踊り方をしたから」チョコエッグをオマケにもらえたりした。

今思うとアホなことたくさんしてるけど「既存のルールではなく新しいルールを創ろうとしていた」と考えると納得出来ることが多い。そのまま未開の地で倒れるか、新しい街を開墾して皆が移り住んでくるか。さてさて楽しみです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>